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Like Sunday, Like Rain 日曜のように、雨降りのように

アメリカ映画 (2014)

2013年の9月、1日13時間以上、僅か20日で撮影を完了した映画。映画出演の経験がゼロに近いジュリアン・シャトキン(Julian Shatkin)にとって、1日平均10ページの台本をこなすことは、それも、本人に言わせると「台詞の半分は意味不明で、70歳の老人のようだった」「天才児」の言葉を 次から次へとそれらしく発していくのは大変だったに違いない。お陰で、出来上がった作品は、IMDb6.9と高評価。これまで作られた数多くのベビーシッターの映画。その初期の代表作『メリー・ポピンズ』(1964)から、最近の『ザ・ベビーシッター』(2017)に至るまで、この手の映画はコメディからスプラッタホラーコメディへと進化。いい加減にしてくれ、といいたいような映画ばかりだった。それが一転、この映画では、ベビーシッターをされる側とする側という立ち位置ではなく、「2つの無関係な人生の交差点」という形で、きわめてシリアスに描かれている。それができたのは、ベビーシッターをされる側の12歳のレジーが、3年以上飛び級できる天才的な数学能力、生後18ヶ月で絵本の文字が大声で読め、それ以後、各種の本を読んできたことで得た博学な知識、チェロの演奏だけでなく作曲もできる音楽的センスを持ち合わせた大人のようなキャラクターだったため。そのため、思春期物にも、セクシー物にもならず、男女の大人同士の非セクシャルな関係を矛盾なく描くことができた。結果として、2人は、お互いの殻を優しく割ることに成功し、15歳の年齢差を感じさせない友情が生まれる。参考までに、レジーの特徴は、その会話にはっきりと現われている。彼が、自分のことを表現した、「I'm alert, extroverted, affable, and articulate〔僕は、活発で、外向的で、話しやすく、歯切れがいいだろ〕」という文章には、ここ30年のアメリカ映画としては珍しく “訳し易い” 明確な表現の単語が並んでいる。それに対し、ベビーシッターの母が使ったのは 「have a bug up one's ass=イライラしっ放し」という典型的な俗語。

レジーは、マンハッタンの文化的中心アッパー・ウエスト・サイドに豪邸を構える億万長者の1人息子。その富は、彼がしたくないことをしなくて済むようにするための「賄賂」にも内密に使われ、彼の飛び抜けた才能と合わせ、彼を孤立させ、それが彼の個人主義的な性格を加速させている。そのレジーには、それまでパナマ人のベビーシッターが付いていたが、恐らく、レジーは、単なる使用人として無感情に接していたのであろう。そのパナマ人が急に帰国し、おまけに、母親がレジーの義父の会社がある北京に夏休み中 出かけることになっていたため、新しいベビーシッターが急きょ必要となる。一方、冴えないバンドのギタリストと同棲関係にあったエレノアは、最近の彼氏の態度に愛想が尽きてアパートを飛び出し、友達に紹介されたベビーシッターの斡旋所を訪れ、緊急要請のあったレジーの家を紹介される。こうして、それまで全く知らなかった2人が出会う。最初、レジーはエレノアに全く興味を示さなかったが、レジーのチェロ演奏をエレノアが聴いたことがきっかけで、2人は徐々に話し合うようになる。エレノアは、レジーの「賄賂」の実態に直面するが、その豊富な知識と高い知能にも圧倒され、広い邸宅に2人しかいないという状況の中で、会話の幅はどんどん広がって行く。そこに、降って湧わいたように起きた エレノアの父の入院。レジーは代理のベビーシッターと過ごすより、内緒でエレノアの実家まで一緒にバスで行く方を選ぶ。そして、そこで体験する下層中流階級の家庭の荒廃。レジーはエレノアに同情するが、逆に、エレノアはこの事件をきっかけに、これまで無視してきた実家を何とかしなければと思い、ベビーシッターを辞めることを決意する。レジーが、いつまでも2人の友情が続くようにと願って贈ったものは、エレノアが果たせなかった夢ももう一度叶えさせるかもしれない楽器コルネットだった。

レジー役のジュリアン・シャトキン(Julian Shatkin)は、マンハンタンに住んでいると書いてあるが、生年月日は不詳。ただ、映画の設定の12歳に矛盾は感じられない。TVや映画の端役への出演はあるが、主演はこれが初めてで、その後もない。だから、少年時代としては唯一の作品。

あらすじ

レジーがクイーンサイズのベッドで寝ていると、メキシコ人のメイドのエサがやってきて、「お早うございます、レジー坊ちゃま」と、スペイン語で優しく声をかける。「お早う、エサ」。エサは、窓辺まで歩いて行き、窓を開けようとするが(1枚目の写真)、考え直して止める。この写真では、レジーの部屋の大きさを分かって欲しい。エサは、1枚目の写真の右奥にあるベッドまで戻ると、レジーのパジャマの上からルームウェアを着せる(2枚目の写真)。この2枚の写真で、レジーが文句のつけようのない豪華な家に住んでいることが分かる。因みに、2枚目の写真のドアは、子供部屋の中の別の部屋への入口。レジーは、出口から廊下に出ると、バスルームに行き、大きな空間の中に置かれた明るい浴槽にゆっくりと浸る(3枚目の写真)。何という優雅な生活。

次のシーンでは、レジーが学校に行く服装に着替えて、大きな食卓に1人で座っている。そこに、エサが朝食を持ってくる。大きな陶器の鉢の中はフルーツで一杯。レジーは、ちらと見て、「ベリーが入ってる」と指摘する。エサは2つ摘まみ出すが、「まだ1つ」と言われ、戻って来て口に入れる(1枚目の写真、矢印)。後で分るが、レジーは厳格なベジタリアンで、しかも、果物であっても 食べたくないものは絶対口にしない。この間中、母は、ルームウェア姿で、携帯で怒鳴っている。理由は、これまで雇ってきレジーのベビーシッターが、多額の給料を払って来たのに、母の長期出張の1週間前になって突然パナマに帰ってしまったため。次のシーンでは、レジーの学校が映る(2枚目の写真)。ニューヨークのマッハンッタンのセントラルパークに面して実在するエシカル・カルチャー・フィールズトン・スクールという私立学校(5歳~18歳)。この区画のグーグル・ストリートビューを3枚目に示す。右手の煉瓦色の建物が学校、左がセントラルパーク。立地は最高だ。レジーは大きなチェロケースを背負って学校まで歩いてくる(4枚目の写真)〔実は、レジーを送り迎えするために運転手と車が用意されているのだが、レジーは歩くことが好きなので車はパスしている〕

その後の学校での授業。数学の授業で、男性教師は「オイラーの方程式は…」と説明しているが、日本では「オイラーの多面体定理」として知られているもの。高校の数学で教えられる。レジーは12歳だが、他の生徒は数歳年上。レジーが飛び級していることが分かる。そのレジーは、つまらなそうに黒板から目を逸らしている。それを見つけた教師は、「球体の表面を面、辺、頂点にカットし、Fを面の数 、Eを辺の数、Vを頂点の数とすると、いかなる場合でも…」と述べた後で、いきなり、「レジー・キッパー」と指名する。レジーは、横を向いたまま、「V-E+F=2」と答える(1枚目の写真)。そして、ようやく黒板を向くと、「ピラミッドを例にとると、5つの面(F)、すなわち、4つの三角形と1つの正方形、マイナス、8つの辺(E)、プラス、5つの頂点(V)ですが、他のどんな組み合わせでも成立します」と、流れるように言うと、再び横を向き 「オイラーは 完璧でした」と付け加える(2枚目の写真)。それを聞いた教師は、「ありがとう、キッパー君」と言った後で、「正面を見て、キッパー君」と注意する(3枚目の写真、他の生徒との体格差がよく分かる)。教師が話し始めると、レジーはまた横を向く。既に熟知していることを聞かされるのが余程つまらないのか?

ここで、場面がガラリと変わり、もう1人の主役エレノア(27歳のレイトン・ミースターが演じている)が、床に直接敷いたマットレスで寝ていると、目覚ましの音で起こされる(1枚目の写真)。ダブルサイズのマットレスの隣に寝ているハズのボーイフレンドは一晩帰って来なかった。エレノアは狭くて粗末なトイレに行き用を足すと〔レギーの豪華なバスルームとの対比〕、携帯を取って知人に電話をかけ、「デニス、いる?」と訊く。何か訊かれ、「昨夜出てったきり帰って来なかったの。心配はしてない。そっちで泊ったんかと思って」と答える。次の番号に掛けると、デニスが出た。「私よ。今、10時半よ。昨夜、帰って来なかったのね」と言い、次の言葉は、「もう、うんざり」(2枚目の写真)。そして、携帯を床に置くと、いきなり立ち上がり、壁に立てかけてあったデニスのエレキギターをつかむと窓まで行き、窓を開けると、ギターを捨てる(3枚目の写真、矢印)。そして、荷物をキャリーバッグに詰めると、デニスのアパートからおさらばし、仕事先のカフェテリアに向かう。

学校の次の授業は英文学。女性教師に当てられたレジーは、席を立ち、本を閉じたまま、ジョン・キーツの最後の詩『ブライト・スター(Bright star, would I were stedfast as thou art)』(1819年頃)を暗唱している。「…いとしい人の豊かな胸を枕にして、その胸が上下に揺れるのを感じ取りながら、甘い欲望の中に永遠に目覚めつつ、その息づかいを聞き続けていたい」(1枚目の写真)「死んでしまうまでずっと そうしていたい」。教師は、うっとりとしてそれを聞いている(2枚目の写真)。暗唱を終えると、レジーは満足そうに着席する(3枚目の写真)。

エレノアが 遅刻した仕事を始めると、そこにデニスがやってきて、「昨夜、俺に連絡しようとしたんか?」と訊く、そして、「昨夜の最後は、カービーの店だった。誰かが俺の携帯を盗んでさ」と弁解するが、その途端に持っていた携帯が鳴り出し、すぐに嘘がバレる。エレノアは、デニスを店の外に呼び出し、デニスが 「カッカせずに、気楽に行こうぜ」と言うのを遮り、「今、クビになるとすごく困るから、さっさと消えてくれない?」と突き放す。「説明させてくれよ」。「聞きたくない」。「それ、何だよ」(1枚目の写真)。デニスは、それがミュージシャンとしての生き方だとくどくど絡むので、エレノアは、「あんたのギター、窓から捨てたわよ」と告げ(2枚目の写真)、さっさと店に戻る。デニスは、再度店に入って来て、外で話すよう促すが、「話すことなんかない」と言われ、テーブルに置いてあったビールビンを手に取ると(3枚目の写真、矢印)、それを床に投げつけて割る。怒った店長は、「出ていけ!」と、直ちにデニスを追い出し、エレノアにもクビを言い渡す。

授業が終わった後、レジーはピアノ五重奏曲の練習(1枚目の写真)。その短い場面の後、今度はエレノアがキャリーバッグを持って店を出て、どこに行こうかと迷う。その短い場面の後、練習を終えたレジーが、チェロケースを背負ってセントラルパークの中を歩く(2枚目の写真)。そして、家に戻ったレジー。食堂のテーブルで本を読んでいると、エサが、「夕食の時間。読書の時間じゃない」と、たどたどしい英語で言い、大きな本を取り上げる。母は、テーブルの遠くの端から、「レジー、今日は、車で学校に行ったの?」と尋ねる。「ううん」。「何て言われたか覚えてる?」。「僕は、障害者じゃない。歩けるよ」。「レジー、学校との往復には車を使いなさい」。「空気を吸うのが好きなんだ」。「あなたが学校に歩いてる間、車と運転手がそこで待機してるのよ」。そこに、エサが料理を運んで来る。「このソース、何? 肉のブイヨン入ってない?」。「ノー。食べて」。レジーは、母に、「テューラ、どうしたの?」と訊く。「パナマに帰ったわ」。「どうして?」。「グリーンカードのせい。あなたには関係ない」。「さよならも言わなかった」。「私に、さよならを言うよう頼んでたわ」。「僕のせい?」。この言葉に、母はカチンとくる。「世界は、あなたを中心回ってるわけじゃないの!」と、細かいことに苛立つ。レジーは、エサに、「この茶色のソース、ベジタリアン向きなの?」と念を押す。「イエス。私、そう言った」。今度は、母に、「この時点で、ナニーを雇う必要あるの? 僕13歳だよ」と訊く(3枚目の写真)。「あなたは12歳だし、私がパパに会いに行ってる間、何をするの? ちっちゃな学士みたいに一人でいるつもり?」。「エサがいるよ」。エサは、「私、8日から1ヶ月、娘のところ行く」と言う。

その頃、エレノアは公衆電話から母に電話を掛ける。話した内容は、①デニスと言い争いになり、店をクビになった、②デニスのギターを窓から捨てたので、そこに戻る気は全くない、③しばらく母の家で暮らそうと考えている、④(妹のシェリーの様子を母から聞き)いくらお金になるからと言って、シェリーがそんな所で働くのは大反対、の4点。電話を終えると、キャリーバッグを持って夜の街を歩いて行く(1枚目の写真、矢印がエレノア。中央の電気の点いた所が公衆電話ボックス)。エレノアは地下鉄に乗って 友達の女性のアパートを訪れる。彼女は、別の女性と2人でアパートの部屋を借りているので〔レスビアンではなく〕、エレノアが今夜一晩だけ泊まっていくことを伝えると、相手は 「どこで寝るの?」と 不機嫌そうに訊く(2枚目の写真)。「長椅子よ。それがどうか?」。「ここは、ホテルじゃないのよ」。そう嫌味を言うが、追い出すわけではない。エレノアは、「ここに横になり、本でも読んで、早く起き、仕事を探すわ」と友達に言う。その親切な友達は、ベビーシッター紹介所の紙を渡し、そこに行くよう勧める(3枚目の写真)。「ベビーシッターしたことある?」。「妹の面倒は見たけど」。「そこに行ったら、ベビーシッターの経験豊富だって言うのよ。ちゃんとした服装で、でたらめの経験を並べて」とアドバイス。

翌朝、エレノアは若々しい服に着替え、地下鉄に乗る。先頭車両の紫の⑦は、7系統(クイーンズ~マンハッタンの34丁目)〔因みに、34丁目駅は、レジーの学校の2.5キロ南西〕。次の場面では、エレノアは、ベビーシッター紹介所の女性に職歴を話している。「カフェ・レストランで働いていましたが、その前はずっとベビーシッターをしてました。私、ある家族のベビーシッターを長く務めていました。ベルギー人で、今は ヨーロッパに戻ってしまいました」。「その家族にコンタクトできますか?」。「電話番号を聞いていません。私の妹の面倒も見ていました。生まれてから高校に入るまでです。ママはフルタイムで働いていましたから、私が一人で育てました。こちらなら、母や妹に直接電話していただけます」。女性は、エレノアの免許証を借り、犯罪記録があるかどうか調べる。その間に、場面はレジーの学校に変わり、彼は、唯一の友人と校庭のテーブルに座っている。友人が、恐らく宿題で、「『最も控え目な〔most spare〕』、6文字の単語で」と言い、レジーは即座に「Merest〔mereの強調形〕」と答える。聞いたことのない単語だったので、「Merest?」と訊き返す。「M-E-R-E-S-T。mere〔ほんの、単なる、ただの〕の派生語… 該当の物以上でもベターでもない。Merest、smallest〔最小の〕、slightest〔僅かな〕」と説明する(3枚目の写真)〔因みに、Cambridge Dictionaryには “used to emphasize the surprising or strong effect of a very small action or event(非常に些細な行動や出来事に対する驚きや影響力を強調する時に使われる)” と書かれている〕

しばらくすると、女性は、「私たちは、通常、すべてを徹底的にチェックするまで先に進むことはしませんが、今回、急な要請があり、あなたにぴったりと思われるので、これを逃す手はないと考えました。これは即刻開始、今日の午後からです。できますか?」と訊く。「ええ。すぐ始められます」。「住み込みです」。「OK」。「期限付きです。恐らく数ヶ月。構いませんか?」。「大丈夫です」。「アッパー・ウエスト・サイド〔マンハッタンのハイドパークの西側全域〕の家族です。12歳の少年の世話と、若干の家事が要求されるでしょう。いいですか?」。「はい」。女性は、化粧を落としてから訪れるようアドバイスする。途中の店のトイレで顔を洗ったエレノアは、渡された番地に向かって歩いて行く。そこは、マンハッタンにあるとは信じられない、建物の丸ごと1つが所有者の家だった(1枚目の写真、矢印はエレノア)。2枚目のグーグル・ストリートビューは、マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドの北西端近くの323 West 105th Street and Riverside Driveにある建物。レジーの学校の北北東3.5キロにあるので、実際にここに住んでいた訳ではない。ただのロケ地だ〔レジーがチェロケースを背負って歩いてくる最初の写真は、学校の南側からの接近。この家は、北側にある。また、この建物はハドソン川に近いので、セントラルパークとは逆方向〕。エレノアが玄関から入って行くと、そこは、巨大なホールになっていた(3枚目の写真)。

すると、そこに、恐らく電話での連絡を受けて待っていたレジーの母親が、エサを引き連れて現れ、先に手を差し出して握手し、「バーバラ・キッパー」と名乗る(1枚目の写真)〔エサの先輩顔が面白い〕。母親は、エレノアの外見に満足し、「書斎に行って話しましょ」と言う。そして、母親とエレノアは、向かい合った長椅子の両側に座る(2枚目の写真)。「アップステート〔州の北部〕出身?」。「はい」。「ベビーシッターが突然出て行ったの。夫は北京で、会社を経営している。私は一週間以内に向こうに行かないと。タバコは吸う?」。「いいえ」。「吸うんならバルコニーでね。15ヶ所あるから、好きな所を選んで」〔エレノアの返事を聞いてないのか、信用していなくても寛容なのか〕。「吸いません」。「レジーについて、何か聞いてる?」。「ほとんど何も」。「12歳。あなたは、学校との往復に同行し、必ず食事をさせること。それだけ。何か他に必要なことがあれば、エサが手伝ってくれるわ。彼は、食べないといけない。あなたが、そうさせないと 食べないの。彼が食べるのは、特定のものだけで、それについては、とても口うるさいわ。肉、魚、家禽は食べず、トウフとベジタリアンのもの以外、何も口にしません」。それだけ一気に言うと、エサに、「今日は何時に終わる?」と訊く。「4時半まで音楽があります」。「なら、あなたは4時半に迎えに行って。何があっても、学校からここまで歩かせないこと。A:安全じゃない。B:そのために運転手を雇っている」(3枚目の写真)。これだけ言うと、母親は、マッサージがあるからと言って席を立つ。

エレノアは、時間になると、運転手付きの高級自動車で学校に向かう。乗っている車は、日産が北米市場向きに発売した大型SUVのインフィニティQX80の2代目モデル(5600cc)。学校の玄関の前に着いたエレノアは、後部座席の窓を開けて建物を見上げる(1枚目の写真)。運転手が運転席から下り、レジーのためにドアを開けてくれる。エレノアは廊下で会った教師に音楽練習場の場所を訊き、立派なホールの扉をそっと開けて中を覗く。中では、5人が演奏をしていたが、扉が開いたのでレジーが一瞬そちらを向く(2枚目の写真)。音楽に魅せられたエレノアは、観客席のイスに座ってじっと耳を傾ける。レジーの、曲に入り込んで演奏する姿がクローズアップされる(3枚目の写真)。

エレノアは演奏が終わると玄関に行き、レジーが出て来るのを待ち構える。そして、レジーがチェロケースを背負って出てくると、「いいかしら」と声をかける。レジーが振り向くと、「私、エレノア。ここで、あなたを迎えるの。聞いてない?」と訊く。返事がないので、「聞いてないのね。いいわ。そこに車があるでしょ」と言う。レジーは、「実はね、僕、歩くのが好きなんだ」。「あなたのママは、車に乗って欲しいって」。「母が何を言おうと、僕はあの男と取り決めたんだ… 協定、金銭的合意だね」(1枚目の写真)「だから、僕は、家まで歩いて行く。それが好きなんだ。毎日そうしてる。雨でも晴れでも。以上、終わり」。そうまで言われては強制できないが、ベビーシッターの役目もあるので、エレノアは後ろを付いて行く。そして、途中で呼び止めると、手を差し出して 「エレノアよ」と言う。しばらく考えていたレジーは、「レジー」と言って握手する(2枚目の写真)。「会えて嬉しいわ」。「僕も」。そこからは一緒に歩く。「それって、ちょっと重過ぎない?」。「そうだけど、気にしないんだ」。「凄かったわね」。「何が?」(3枚目の写真)。「あなたの演奏。あの曲、とっても素敵だった」。「どうも」。「ビオラとバイオリンの触れ合いが、とっても悲しくて美しいわ。誰が作曲したの?」。「僕」。「あなたが?」。「そうだよ」。「あなた、音楽が心から好きなのね。大きくなったら、音楽家になるの?」。「まさか」。「また、どうして?」。「いいかい。まず第一に、悲痛で孤独な酔っ払いに行き着くという将来見通しに、魅力なんか感じない。言うまでもないけど、芸術という言葉はもう死んでる。あなたの言い分や価値観に関係なく、もう死んでるんだ」。

家に帰ったレジーは、学校でも一緒だった少年と、スクラブルというボードゲームで遊んでいる。アルファベットの駒をボード上で並べ、英単語を作って得点を競う “勉強のため” のゲーム。レジーの番になり、「DOUZEPER」という単語を完成し、「やった、120点だ」と言う。相手の少年は、「そんなの言葉じゃない」と反対するが、レジーは、「言葉さ。バカだな。12人の伝説的な仲間の1人だ」と反論する(1枚目の写真)〔https://1word.ws/douzeper には、「DOUZEPER」はスクラブルの言葉として有効と書かれている。DOUZEPERは、シャルルマーニュ帝の12臣将の1人の名前だが、「シャルルマーニュ帝の12臣将のような人物」という、普通名詞としても使かわれることもあるから「有効」。だから、レジーの説明では不十分。個人の名前、例えば、シャルルマーニュは、スクラブルでは有効ではない〕。少年は話題を変え、「彼女、すごくホットだな」と言う。「君は、会った女性みんなにそう言ってる」。「ううん、スーパー・ホットなんだ」。「それは、単に、君が混乱し、ぶざまで、不安だからさ」(2枚目の写真)。「そうかい、フロイド君」。「君は、女の子とは絶対セックスしない。僕はそう確信したよ」。そのあと、いつもの夕食のシーン。ただ、これまでと違い、エレノアも席に座っている。彼女は、エサが運んできた料理に、「おいしそうね」と言うがエサは無視。ほぼ同時にレジーが訊いた、「何のソース」には、「肉なし、茶色のグルテン」と答える。母は、「ベジタリアン用の野菜炒めよ」と言うが、レジーは、「エサは、何にでもこっそりビース・ストックを入れるんだ」と、エレノアにブツブツ。翌日、エレノアは、カフェで一緒に働いていた女性と、ベンチに座っている〔女性も野菜を食べているので、ベジタリアン?〕。女性は、僅か2日前に最悪の状態だったエレノアが、最良の状態になっていることが羨ましい。だから、エレノアが、「なんか、ちょっと怖いの。12歳の子のベビーシッターになる件で、母親と10分くらい話しただけで、次の瞬間には、もうそこに住んでた」と話すと(3枚目の写真)、「すごくラッキーじゃない。何を大騒ぎしているの?」と疑問視する。「まるで超億万長者〔gazillionaires〕。家は、グランドセントラル〔ニューヨークのターミナル駅〕。私は、12歳の男の子の世話なんてしたことない」。「家賃と食費タダ。プラス給料。それ以上、何を望むことがあるの?」。

エレノアが家に近づくと、レジーの弾くチェロの音(ね)が通りにまで響いている。そこで、エレノアは、レジーがどこで弾いているのか見つけようと、使われていない暗い階段を降りて行く(1枚目の写真)。そして、暗い廊下の突き当りの扉を押し開けると、そこには広く深い空間があり、その底でレジーがチェロを弾いていた(2枚目の写真)。エレノアが入って来たことに気付いたレジーは 弾くのを止める。エレノアは、「ダメ、ダメ、止めないで。素敵だわ」と言うが、「ううん、そうじゃない。最近、チェロに熱が入らなくなったんだ」と、意外な返事。「ここが練習場所?」。「家の中で最高の場所。音響が完璧」。「この場所も… この家って素晴らしいわね」。「フランシス・ファークが1898年に建てた。自然史博物館も彼が建てたんだ〔実際の設計者はCalvert Vaux〕。彼、プールが大好きでね」(3枚目の写真)〔この場所はプール〕。「なぜ、空っぽなの」。「ママが、マヨルカかどこかのハンドメイドのタイルを貼ろうとしたけど、手が回らなくて。この家の中は、手の回らないもので一杯なんだ」。

その日の夕食は、レジーとエレノアだけ。エサは料理を運んでくると、「私、今から食べてくる。要る物あったら知らせて」と言って、出て行く。エレノアは、「一緒にここで食べればいいのに」と言うが、レジーは、「エサはあっちで食べるのが好きなんだ」と答える。「変なの」。「そうかな? エサは、気の向くままに食べたいのさ。テレムンド〔合衆国のスペイン語テレビ局〕なんか見ながら。エレノアは、個人的な道徳観や期待感をエサに投影してるんじゃないかな」(1枚目の写真)。そして、学校での演奏。ホールは大勢の観客で一杯だ。以前エレノアが見た練習風景は、この日のためのものだった。聴衆の中には、もちろんエレノアもいる〔母は映らないので、このような “些細な” ものには出ない性分なのだろう〕。演奏会が終わった後、2人はカフェでデザート。エレノアは、「輝かしく、大成功の演奏だったわ」と褒める(2枚目の写真)。「次は何? 夏に向けてあなたの四重奏の曲目は?」。「チェロに ハマり過ぎてたと思うんだ。ちょっと休まなきゃ」。「そうね、休憩も必要だわ」。「うん、そうする。チェロはしばらく止めよう」(3枚目の写真)。「1週間かそこらの意味で言ったんだけど。そしたら、また、チェロに戻るわよね?」。「ううん。75歳以下の誰も、埃っぽくて時代遅れの音楽なんかにもう興味を持ってない。そんな時代じゃないんだ」。そのあと、話題を変え、レジーはエレノアの出身地を訊く。返事は、オナイダ(Oneida)〔マンハッタンの北北西290キロ/後から2人で行くので、場所は重要〕。その他で書くに足るようなことは、エレノアの妹がバーで働いているということ〔以前、母との電話で 「そんな所で働くのは大反対」と言っていた〕、兄は兵士としてアフガニスタンにいること。両親のことを聞かれると、「アイスクリームが溶ける」と言って話題を変える〔理由は後で分かる〕〔ベジタリアンなら豆乳アイス?〕

学校の数学の試験。早く解答を終えたレジーは、年上の同級生が最後まで粘って必死に解いているのに、悠々と本を読んでいる。教師も、レジーは別格なので許しているのであろう(1枚目の写真、矢印)。学校が終わり、レジーがいつもの少年と出て来ると、待っていたエレノアが、「どうだった?」と訊く。答えたのは、少年の方。「終わって嬉しいよ。物理なんか大嫌い。サイテーだ!」。エレノアは、レジーに、「数学の試験はどうだった?」と訊き直す。レジーは、当たり前のように「満点」と答える。少年:「何でそんなに平然と言えるのかな」。レジー:「君みたいに脳性麻痺じゃないからだろ」(2枚目の写真)。少年は、そんなひどい言葉にも関わらず、「ジャンバ・ジュース飲みにいかないか?」と誘うが、エレノアは、レジーに 「あなたのママは、1時間で空港に出かけるから、すぐに帰らないと」と言う。少年が 「どこに行くの?」と訊くと、レジーは 「君には関係ない」と身も蓋もない。少年が、「気楽に行こう」と言うと、「僕は、君のお母さんがどこかに行く度に、質問するか?」と追い打ちをかける。「ごめん」。それを聞いてようやく、レジーは 「ごめん。噛みつく気はなかった」と謝り、すぐ車に乗る。そして、家の前、エレノアとエサが玄関に立ち、運転手が荷物を持って出て来てトランクに乗せる。母は、何事かをレジーに話しかけ(3枚目の写真)、最後に頭にキスして車に乗り込む。

翌朝、エレノアは、目覚ましが鳴らなかったと弁解して食堂に入って行き、「あなたをキャンプに連れてきゃなきゃ。何時なの?」と焦る。レジーは、「座って、コーヒー飲んで」と焦る様子もない(1枚目の写真)。エサは、「今日からキャンプ。でも、彼は行かない」とエレノアに言う〔ここが一番の疑問。キャンプの期間は6週間もあるのに、その間、なぜエレノアがベビーシッターとして必要なのだろう? 〕。エレノアは、「行かないって、どういうこと?」とエサに尋ねる。「行きたくない、言う」。エレノアは、「遅れちゃうわ。なのに、どこに連れて行くかも聞いてない」と、さらに焦る。レジー:「リラックスして。僕は行かない」。「あなたには、決められないの」。「誰が、決めるの?」。「あなたのお母さんから、具体的な指示をもらってるわ」。「そうなの?」(2枚目の写真)〔如何にもバカにした顔〕。「そうよ。ナマ言わないで、このガキ」。「誰が、生意気? 僕は違う。ここに座ってクロスワード・パズルをしてるだけ」。そして、「エレノアは、僕が、いつ、どこに行くことになっているか知らないみたいだ。僕の母は、明確な指示を残してないんじゃないのかな」とも。「あなたは、キャンプに行くのよ」。その言葉に従ったのかどうかは不明だが、レジーはリュックを背負い、エレノアと一緒に集合地点に向かう。1台のバスが停まり、参加者がその前に列を作っている。エレノアは、「あなたは、湖畔のキャンプに行けるのよ。私だったら行きたいわ」と訊く。「コーラス、平凡で下らない討論、スポーツやヒーローのもの、アクション映画についての無意味な会話。それがバスから始まる。カヌー漕ぎ、障害物レース、キャンプファイア、思春期の友情なんか、もう結構」(3枚目の写真)〔考えて見れば、レジーの学級は高校生クラス(15-16歳)。なのに、キャンプへの参加者は、レジーと同年代(11-12歳)。そこに大きな乖離がある〕

レジーは、「ちょっと待ってて」と言うと、バスの横にいるキャンプの係員のところに行き、何事か話して握手する(1枚目の写真、矢印はレジー)。そして、エレノアの所に戻って来ると、「もう大丈夫」と言う。「何が大丈夫なの?」。「僕、あの人 知ってる。彼が、手配してくれる」。「ちょい待ち」。「彼が、僕の名前に〇をつけ、僕は、彼に小切手を郵送する。何のおとがめもなし」(2枚目の写真)。「あの人に、小切手を送るの?」。「それでいいんだ。取り決めができてる」。それだけ言うと、もうキャンプの話は終わりにし、「お腹空いてるでしょ? この近くに素敵な店があるんだ。エッグベネディクト〔普通は、イングリッシュ・マフィンの半分に、卵、ハムなどを乗せるのだが、ベジタリアンの場合は、アボガドやほうれん草などを乗せたりする〕、好き? 全部、有機栽培なんだ」と言うと、どんどん先に歩いて行く。レストランの中。メニューを見て、エレノアは、「ほうれん草のサラダが52ドル〔2014年の52ドルは2022年の61ドル≒6700円〕?」と、びっくりする。「最高のサラダだよ。信じて。ここの料理は、どれも、超一流だ。僕は、いつも、野生のキノコのリゾット〔米料理〕を食べる。好きなの、選びなよ。世界的に名の通ったシェフだよ」。エレノアは、食べ物よりも、キャンプの後始末の方が心配。「これから6週間、どうするの?」。「ここは、ニューヨークなんだよ。することに困るなんてあり得ない」。さらに、「僕が、どこにいようが、誰も気に留めない。僕がキャンプにいようが、家で本を読んでいようが」と言い、エレノアは、「すごく変ね、レジー」と呆れる。「そうさ。これが僕の人生なんだ。僕は、できるだけ最善の方法で、安全性と健全さを保つべく、物事を切り抜けようとしてるだけさ」(3枚目の写真)。

その夜、レジーとエレノアがTVを見て笑っていると、エレノアの携帯にデニスからメールが届き、それを読んだエレノアは、階段を降りて玄関に向かう。レジーは、何事かと訝り、TVを消して後を追う。エレノアが玄関を出ると、そこにはデニスが待っていて、復縁を迫る(1枚目の写真)。しかし、エレノアは、レジーに感化されたのか、難しい単語を並べる方法で、きっぱり断る。「その鼻につく泣き言や 捨て身の行動が、私の興味を引いてアピールすると思ってるなら、大間違いよ。だから、さよなら」。すると、デニスは、ギター代を弁償しろと迫り、「クソアマ」と罵る。心配して外に出て来たレジーが、「ここで何してるの?」と訊くので、エレノアは、これ幸いと、レジーと一緒に玄関の中に入る。ごねるデニスに、運転手が向かって行くが、その後は映らない。しかし、デニスが二度とエレノアの前に現れなくなったので、何かがあったと類推させられる〔あとでレジーがエレノアに教える〕。レジーがベッドで本を読んでいると、そこにエレノアが入って来て、不始末を詫びる。レジーは、「何か、スナック作ろうか? 野菜ソバ〔日本語〕なら、すぐに出きるよ。そてとも、トウフカレー〔トウフ発祥の地・日本でも最近普及している〕とか。何か食べないと」。「そうね」。「TVも見終えないと」。2人は再度TVの前に座る。手に持っているのは、恐らく野菜ソバの入ったどんぶりと箸。レジーは、「訊いてよければ、彼って、あんな風に 怒りをぶちまける癖があるの?」と訊く。「これまで、意識したことなかったわ。大間違いね」。すると、レジーは、「人生は、大間違いの連続さ」と言う(3枚目の写真)。「私ったら、あなたを こんなことに巻き込んじゃって」。「何言ってるの? エレノアは、見事に仕事こなしてるよ」。エレノアは、自分のみっともない過去を見られたことを指摘し、「理解するには、あなたは幼な過ぎる」と言う。これを聞いたレジーは、「僕は、年齢を超えてるから、理解できる」と反論。「あなたには、私のことで心配したり、考えたりして欲しくないの」と言うが、返事は、「心配はしないよ。でも、考えることは止められない。それが僕だから、何についても考える。性分なんだ」。

翌日、公園で、レジーがいつもの少年とチェスをしている。レジーの一手を見て、少年は、「名人にそぐわないミスだ。力まかせの攻勢で、がら空きじゃないか。ナイトをもらうよ」と 自慢げに言う。「構わないよ、僕の勝ちだ」。その話の間中、エレノアは、後ろの芝生に横になって寝ている。少年は、「一度、ヒップホップダンスのキャンプに行きたいな」と言い出す。「君のプロフィールには、革命的だな。そんな恐ろしいこと、やるなよ」。「そう言うのは簡単だ。だって、君は、超ホットなベビーシッターと、いちんち中公園で一緒いられるだろ」。「確かに」。少年は、ポケットからパンフレットを取り出してレジーに見せる。「いかした女性で一杯だろ」。「そのキャンプに行けば、そんな “いかした女性” が一杯いると思ってるんか?」(1枚目の写真)。そして、レジーの次の一手。「チェックメイト。ぼんやりしてるからだ」。そう言うと、立ち上がり、エレノアの前まで行くと、「シュガーフリー・スイーツは?」と言って、差し出す(2枚目の写真、矢印)。エレノアは、それを受け取って口に入れる(3枚目の写真)。

家に戻ったレジーが、映画の中で唯一の “思春期” 的行動を取る。それは、トイレの鏡の前でシャツを脱ぐと、力(ちから)こぶを作って、自分は年齢以上だと見せようとしたこと(1枚目の写真)〔でも、12歳の子供にしか見えない〕。その次のシーンでは、2人が、モディリアニの有名な昨品『安楽椅子の上の裸婦』(1918年)を見ている(2枚目の写真)。不思議なことに、この絵は、現在個人蔵で、2010年11月2日サザビーズのオークションで6900万ドル〔当時の換算率で56億円〕というモディリアニ史上最高額で落札されたもの。映画は2013年の撮影なので、落札された作品が展示してあるという前提。ということは、レジーの家にこの絵があるということか〔つまり、どこかの美術館に行ったわけではない〕? レジーは、博学な知識を披露する。「彼は、1920年、極貧の中、35歳で亡くなった。隣人によって発見された時には、結核性髄膜炎で錯乱状態だった。ベッドの上には、酒瓶とイワシ缶が散らかってた。ガールフレンドのジャンヌが、彼を世話してた」。「イワシ缶くらい片付けられたのに」。「2人目の子供が妊娠9ヶ月だった。彼が亡くなった2日後、彼女は、5階の窓から見投げしたんだ」(3枚目の写真)。

そのあと、2人は、セントラルパークの中を仲良く歩く。エレノアは、「質問していい?」と訊く。「もちろん」。「いつから、才能が芽生えたの? 例えば、いつ読み始めたの?」。「18ヶ月で読めるようになった。母が入って来た時、僕はドクター・スースの『Oh, the THINKS You Can Think!(考えること 君は考えられる!)』〔1975年に出版された幼児用の絵本〕を読んでた〔右の写真は、その1ページ〕。「大声で?」。「うん」。「お母さん、ひっくり返ったでしょ」。「すごく面白がって、僕をパーティに連れてった」。「どうかしてる」。「2歳未満の子供を起こして、テーブルの真ん中に座らせ、酔っ払った人々のために、『Oh, the THINKS You Can Think!』を大声で読ませるなんて、どうかしてる」。「ひどいわ」。「僕がちょうど4歳の頃、僕は かなり難しい算数ができたのでので、一種の天才のようなものだと分かったんだ」(1枚目の写真)。7桁から10桁の掛け算や、たいていの数字の立方根も頭の中で出来た」。「『レインマン』〔1988年のアメリカ映画〕ね」。「ううん。僕は(ダスティン・ホフマン演じるレイモンドのように)サヴァン症候群〔特異な才能を持った自閉症患者〕じゃないし、活発で、外向的で、話しやすく、歯切れがいいだろ。それに加えて、悪魔的なまでにハンサムだし。僕にとっては、みんな母国語みたいなもんだった。数字、演奏、作曲。父は、すごく頭が良かった〔これまでの行動からみて、母からの遺伝的素質は、この生意気さだけ?〕。「中国で何してるの?」。「何もしてないよ、死んだんだ。母は再婚さ」。「あら、ごめんなさい」。「いいよ。ずっと前の話だから。僕は3歳だった」(2枚目の写真)。「なぜ、亡くなったの?」。「チューリヒで車に轢かれた。父はコンサートピアニストで、いつも旅行してた。MIT〔2022年のQS世界大学ランキングで9年連続世界10位のマサチューセッツ工科大学〕で 物理学の博士号も取った」。「凄いわね」。「僕は、父を神話上の人物として理想化するのが好きなんだ。お酒をガブガブ飲んでたかもしれないけど」(3枚目の写真)。

家に戻ると、待っていた食事は、エサがいない間の代理人ボリアの料理。あまりに不味いので、レジーが食べあぐんでいると、エレノアが、「ここ抜け出して、中華を食べに行かない? 昔住んでた近くに、いい店があるの」と誘う〔当然、ベジタリアンかヴィーガン対応の中華料理店〕。2人は、地下鉄に乗ってお出かけ(1枚目の写真)。エレノアは、「運転手付き車があるのに、地下鉄で行くなんてどうかしてる。なぜ、彼を解雇して、お金を節約しないの?」よ訊く。「彼は、いい人だよ」(2枚目の写真)。「そうかも。でも。どこにも誰も乗せてかないなんて。運転席で暮らしてるみたいなものよ」。「あのね、彼は、奥さんと、脳性麻痺に苦しむ7歳の娘と一緒に、クラウンハイツに住んでたんだ〔21世紀に入り、家賃が急上昇〕。僕は彼が気に入ってる。後ろ盾になってくれるんだ。彼は、ジョン・ゴッティのところで働いてた〔ジョン・ゴッティは、ニューヨークのマフィア「5大ファミリー」の1つのボス〕。戦闘隊員として」。「だから?」。「だから、助けになってくれたと思ってる」。「何の?」。「エレノアの」。「ついてけない」。「あの、ボーイフレンドだよ。あいつは、二度とエレノアを悩ませない」(3枚目の写真)〔あの時、運転手がデニスをマフィア流に脅した〕。「正気なの?」。「それが 彼の昔の仕事だったから」。

家に戻った2人。エレノアが最初に面接を受けた向かい合った長椅子にゴロンと横になる。そのうち、飽きてきたエレノアが、「行くわよ」と体を起こす。「どこへ?」。「お天気じゃない。公園に歩きに行こ」(1枚目の写真)。レジーに無視されたので、今度は、「チェロの練習でもしたら? 何週間もしてないじゃないの」と言う〔思ったより、時間が経過していた〕。「チェロは止めたんだ。時間を費やし過ぎた」。「そんなこと言わないで」。「チェロには、もう興味ない」。「分かった。じゃあ、公園行こう」。「うんざりするほど毎日、うんざりする公園に行ってるじゃないか」。「じゃあ、別のうんざりする公園に行きましょ」。次のシーンで、2人は街角のベンチに座っている。レジーは相変わらず本を読んでいる。エレノアは、「あなたの友だちの誰かに電話して、何かして遊ばないか誘ったら?」と訊く(2枚目の写真)。「遊ぶ?」。「一日中、私と一緒にいて飽きない?」。「ぜんぜん。僕が嫌になったの?」。「まさか。ただ、四重奏の友だちの一人でもと思って」。「からかってるの? あんなの友だちじゃない。友だちなんていない。言っただろ。僕に話しかける子なんていない」。「心を開けば、みんなあなたを好きになるわ。もっと努力しなきゃ」。その時、2人の後ろでボール遊びをしていたレジーより少し年下の男の子が、「ねえ、フォースクエア〔4人が、2×2の ⊞ に入ってボールを投げ合って遊ぶゲーム〕しない?」と2人に声を掛ける(3枚目の写真)。レジーは、エレノアの忠告を100%無視し 「やめとくよ」と断る。エレノアが気分を害したことは言うまでもない。

ある日、エレノアにかかってきた1本の電話が変凡な日常を変える。携帯を持って食堂から出たエレノアは、相手に向かって、「なぜ、もっと早く知らせてくれなかったの?」と文句を言い、「母さんと話せる?」と訊く(1枚目の写真)。後ろには、心配したレジーが様子を見にきている。「そう。分かった。なぜ誰も早く教えてくれなかったのか理解できないだけ」。会話が終わると、レジーが、「誰なの?」と訊く。「デール叔父さん」。「うまくいってる?」。「パパが入院した」。「どうかしたの?」。「長いこと具合が悪かったんだけど、今は、ほんとにひどいの」。「原因は?」(2枚目の写真)。「アルコール依存症の重症化」。「肝硬変?」。「私、行かないと」。「オナイダまで? 僕にできることは?」。「ないわ。友だちのシルヴィアを呼ぶわ。私がいない間、彼女が代わりを務めるから」。ここで、レジーは、意外なことを言い出す。「一緒に、オナイダまで行くってのはどう?」(3枚目の写真)。

2人は、いつもの車に乗って、学校の1.8キロ南南西にあるポート・オーソリティ・バスターミナルに向かう(1枚目の写真)。そして、車から降りて運転手に何か言うと、ターミナル内へ。次のシーンでは、2人はもうバスに乗っている。レジーは眠ってしまったので、エレノアは風邪をひかないよう、上からコートをかけてやる(2枚目の写真)。夜、オナイダに着くと、2人はタクシーに乗り、住宅地とは言えない暗がりの中に建つ一軒家の前で下りる。そして、玄関から中に入る(3枚目の写真)。

家の中で、2人がソファに座っていると、エレノアの母がレジーの前に来て、「M&Ms〔チョコレート菓子〕好き?」と訊く。レジーは断る(1枚目の写真)〔レジーがベジタリアンなのか、ヴィーガンなのか、よく分からない。ヴィーガンは乳製品の入ったチョコは食べられない。また、グラニュー糖が入っていても、製造時に牛や豚などの動物の骨が使われるので、食べられない〕。母は次にリッツのクラッカーを勧めるが、これも断る〔リッツのクラッカーはヴィーガンでも食べられるので、なぜレジーが断ったのかは不明〕。母は 「何がしたいの?」と レジーに尋ねる。エレノアは 「読書」と代弁する。「何年生? 4年生、5年生?」。レジー:「ちょっと複雑なんです」。エレノア:「すごく頭がいいの」。ここで、一緒にいた男性が、「なぜ、コートを脱いで、ゆっくりしないんだ?」と、2人に訊く。「ここ、すごく寒いからよ。暖房でもつけたら?」。母:「電気代、払うの?」。「ここ、40℉〔4℃〕くらいよ」(2枚目の写真)〔男性は、下着の白シャツの上に薄いカッターを羽織っているだけ。いったいどちらが正しいのか?〕。母:「で、どのくらい いるつもり?」。「朝、パパの様子を見に行ったら、帰るわ」。「いつまでいてもいいのよ。でも、暖房のことは口にしないで。今は夏よ。何よ その態度」。しばらくして、2人は、エレノアの妹の部屋に行く。部屋の中は雑然としていて、とても寝られたものでない。レジーは、「ホテルで泊まる方が、もっと快適だよ」とアドバイス。エレノア:「でも、そんな余裕ないわ」〔レジーは現金を持っていないのだろうか?〕。「でも、もっと快適だよ」(3枚目の写真)。

エレノアは、居間に戻ると、TVを見ている2人に 「車、借りるわ」と言う。「どこ行くの?」。「ホテルへ泊まりに」。「何を言い出すの?」。「病院が終わったら、戻しに来る」。「もう、9時なのよ」。「あんなとこじゃ、眠れない」。「何時に来て、ゲストを連れてくるって分かってたら、ちゃんとできたのに」。「車、貸してくれるの、くれないの?」。キーをもらうと、エレノアはさっさと家を出て行く。2人が泊った部屋は、アメリカのホテルにしては、えらく狭い部屋。ベッドもシングルと狭い(1枚目の写真)。レジーは、「デールは、エレノアのママの弟なの?」と訊く〔アメリカでは兄弟姉妹婚は許されていないので、姉と弟が一緒に暮らしていると思った?〕。「パパ〔義父〕よ。私の両親が別れた時に結婚したの。みんな高校の友だち同士だった」〔エレノアの父が湾岸戦争に行っている間に、デールが母のところに入り浸り、父が帰国後、2人は離婚し、母はデールと再婚した。そして、あとで分かるのだが、デールは エレノアの父の弟、だから、電話でエレノアが「デール叔父さん」と言ったのは正しい〕。電気を消したあと、エレノアは、「ジュリアード〔ジュリアード音楽院〕に行きたかった」と言い出す。「女優になるため?」。「まさか、音楽よ」。「音楽?」。「コルネットを演奏するため」。それを聞いたレジーは、電気を点けると、「エレノアは、音楽家なの?」と訊く(2枚目の写真)。「ええ」。「なぜ黙ってたの? いつから演奏してたの?」。答えは、4年生から。高校の時はバンドで演奏。シラキューズ〔オナイダ近くの小都市〕の新戦争記念館の開館式典の時には、特別に選ばれたバンドでソロ演奏をし、ヒラリー・クリントンが来てテープカットした。ジュリアードから入学を勧められたが、全額支給奨学金がもらえなかったので、入学をあきらめた、という内容(3枚目の写真)。そして、そのあと、地下鉄でビートルズの曲などを演奏し、お金を稼いだ。そのうちデニスと会い、親しくなり、勧められて彼のバンドに入った。ここで、レジーが、「コルネットは どこにあるの?」と訊く。「もう、ないの」。「なぜ?」。答えは、経済的に困った時に売ってしまったから。ここで、電気が再び消される。エレノアは、「あなたが、演奏会のために作った曲、どんな題名なの?」と最後に訊く。「『日曜のように、雨降りのように』」。この映画の題名だ。「素敵ね」。「コルネットのパート譜を書くよ」。

翌朝、エレノアはデールの車で病院に行く。当然、レジーも一緒だ(1枚目の写真、矢印は花束)〔花束は、なぜか白い花ばかり。英語のサイトを見ても、病院の見舞いの花は、赤、オレンジ、紫、ピンク、黄などがお勧めと書いてあった〕。最初、病室を訪れたのはエレノアだけだったが、待合室に咳いてばかりいる女性がいたので、レジーはこっそり病室の中を覗きに行く(2枚目の写真)。エレノアの父は、眠っているのか、意識不明なのか、最後の言葉を交わすことはできなかった。そのため、車に戻ったエレノアは、泣き崩れてしまう(3枚目の写真)。

2人がデールと母の家に戻ると、玄関ポーチに、エレノアの妹のシェリーが座ってタバコをふかしていた。最低限の挨拶を交わした後、シェリーは、「昨夜は、デイズ インに泊ったんだって? 部屋が汚くてごめん」と謝る。「もうちょっときれいにしてればね」。「週40時間働いてれば、ちょっと無理ね」〔週2日休みがあるのに?〕。ここで、エレノアは、今シェリーが働いている場所について批判し、「あたしがどこで働こうが、関係ないでしょ」と言われてしまう(1枚目の写真)。エレノアは、それ以上妹と話すのを止め、レジーを連れて家に入る。1階のキッチンにいたのはエレノアの母。エレノアは、すぐに固定電話でタクシーに電話をかける。母:「どこに行くの?」。「バス・ステーション」。「お父さんには会ったの? そのために来たんでしょ?」。ここで、エレノアの怒りが爆発する。「そうよ。会ったわ。そっちこそ、会ったことあるの?」(2枚目の写真)「この家の誰か一人でも、見舞いに行ったことあるの?!」。「あんたこそ、ここに来てから、イライラしっ放しじゃないの!」。2階で寝ていたデールが騒ぎで下りてきて、「何の騒ぎだ?」と訊く。「生命維持装置につながれてたわ」。「知っとるぞ」。「病院はあんたに電話を掛けたけど、一度も、折り返し掛かってこなかったとか」。ここで、母が口を出す。「復員軍人給付の額、知ってる? 大して多くないのよ。だから、電話が掛かってくるの」。「私が理解できないのはね、病院に行って パパと一緒にいるのがそんなに難しいことなの?! あんたのお兄さんなのよ。なのに、一人で放っておくなんて」。これに対し、義父兼叔父のデールは反論する。「事態が悪化し始めた時、お前の姿はどこにもなかったぞ。だから、ああだこうだ言うな」。エレノアは、何も言わずにレジーを連れて玄関に向かう。母が、「戻ってらっしゃい」と声を掛けると、「くたばれ!!」と怒鳴る(3枚目の写真)。デールは玄関まで追って行き、「落ち着けよ」と言うが、エレノアは、「ここには、二度と帰って来ない」と捨て台詞を残すと、あとは何を言われても振り返りもせず。タクシーが来る場所まで歩いて行く。

帰りのバスの中で。レジーは、「ほんとに、二度と戻らないの?」と訊く。返事は、「さあ。多分、いつの日か、兄さんが(湾岸戦争から)戻ってきたら」というもの(1枚目の写真)。「いつか西に行きたいわ。友だちがアイダホに住んでるの。いつでもいらっしゃいって言ってくれる」。そのあと、レジーは話題を変え、「コルネットは?」と訊く(2枚目の写真)。「いつの日か、戻るかも」。「そうすべきだ。エレノアは才能があるんだから、する義務があるよ」。「何言ってるの。どうせ、世界最悪のコルネット奏者になるだけだわ」。「そんなことない。エレノアは、シラキューズで特別なバンドのメンバーに選ばれたんだ。ジュリアードには行かなかったかもしれないけど、エレノアから芸術の世界を奪うことは犯罪だよ」。「芸術は死んだとか、言ったんじゃなかった?」。「いつか戻るって、約束するだけでいいんだ。エレノアの音楽にね」。「あなたが、そうするなら」〔チェロに戻るなら〕。「決まり」。バスが動き出すと、レジーは、エレノアの肩に 恋人のように頭を乗せる(3枚目の写真)。

バス・ターミナルから家まで車で送ってもらった2人は、家には入らず、手をつないで公園に向かう(1枚目の写真)〔正面の公園は、ハドソン河岸のリヴァー・サイド・パーク〕。2人は芝生の上に寝転がる。しばらく眠っていたエレノアは、夢の内容についてレジーに逐一訊かれる。最後の質問が、「将来結婚する気はあるの? 子供をつくったり?」という個人的なもの。これに対しては、「質問ばっかしね」と答えない。「ごめん。ただの好奇心だよ」。「結婚するとは思わない。何もかも期待通りになるなんて、到底思えない。うまくなんか行かないのよ」。「賛成できないな。うまくいくさ。もし、エレノアがしっくりくる人がみつかれば、うまくいくって。問題は、お互いに相応しい誰かを見つけること」。こうした会話の後、レジーは、「エレノアに会える?」と訊く。「ここにいるじゃない」。「エレノアが去った後だよ。行っちゃうんだろ? また、会えるかな?」(2枚目の写真)。「あなたが望めば。手紙を書いたりして、連絡を取り合うとか。でも、何となく思うんだ。今から1年後、あなたは、私の名前すら覚えてないって」。「そんなことない」。そう否定すると、レジーは上を向き、「僕を愛してくれる人がいるんだろうか?」と心配する(3枚目の写真)。「オッズはすごく高いと思うわ」。

直後のシーンだが、翌日なのか、もっと後なのかは分からない。エレノアが、彼女より若くてきれいな女性を連れて玄関から入ってくると、2階に向かって、「ねえ、レジー、カリーナに会いにいらっしゃい!」と呼ぶ(1枚目の写真)。レジーが階段の上に顔を見せると、カリーナは、「今日は、レジー、はじめまして。すごい家に住んでるのね」と言う。レジーは、以前、エレノアと親しくなかった時に言ったと同じように、設計者のフランシス・ファークのことを淡々と機械的に話す。エレノアが、「降りてきて、彼女を案内してあげて」と、仲を取り持とうとすると、レジーは、「遠慮するよ。部屋に戻って、グルーチョ・マルクス〔アメリカのコメディアン〕の伝記を読み終えないと。会えてよかった」と言い(2枚目の写真)、すぐ姿を消してしまう。部屋に戻っても、レジーは伝記を読むわけでもなく、何事かをじっと考える(3枚目の写真)。

エレノア最後の日の朝。レジーは、エレノアの寝室のドアをノックすると、「エレノア好みの深煎りのフレンチプレス〔フレンチプレスは、コーヒーを淹れる器具〕だよ」と言い、陶器のカップを棚の上に置く。さらに、「お腹空いてるといいね。野菜のフリッタータと、小麦粉なしのパンケーキ作ったから」と言って出て行く〔どっちがベビーシッターか分からない〕。そして、朝食の場面。エレノアは、「エサは、明日8時に来るわ。だから、今夜の夕食はカリーナが用意する。ランチも」と話す。そして、遂にレジーの本音。「なぜ、行っちゃうの?」(1枚目の写真)。エレノアは何も答えない。その時、玄関のチャイムが鳴る。エレノアは、「カリーナね」と言うと、席を立つ。そして、出立の時。エレノアは、初めてここに来た時のキャリーバッグを牽いて1階に現れる。そこで、レジーと向かい合う。「カリーナは、今 荷物を整理してるわ」。「散歩に行かない?」。「もう出ないと」。レジーは、エレノアがバスの中で食べる食事の入った紙袋を渡す。「カリーナは、とってもいい子よ」。「うん、そうだね」。「チェスが好きなんだって」。「いいね」。そして、「じゃあ、アイダホに行くんだね」と訊く〔帰りのバスの中の会話で、エレノアはアイダホの友だちのことを話していた〕。「ううん、しばらく家に帰って、気持ちを整理するわ」。「それがいいよ」。そして、「エレノアと知り合えてすごく良かった」と心を打ち明ける。「私も」。「ほんの数ヶ月だなんて信じられない。ずっと前から知ってたみたい。どうしても言いたいことがあるんだけど、突然、話す能力がなくなっちゃった」(2枚目の写真)。エレノアは床に膝をついてレジーと高さを合わせると、ぎゅっと抱き締め、最後に軽くキスする(3枚目の写真)。「いい子でね」。それだけ言うと、去っていく。それを見送るレジーは泣きそう(4枚目の写真)。

エレノアは、バスでオナイダに向かう。一方、レジーは、運転手とベンチに座っている。そして、エレノアが家に戻ってくると、玄関ポーチの上にダンポールの箱が置いてある(1枚目の写真、矢印)。エレノアが箱を開けると、中には、リボンの付いた立派なケースが(2枚目の写真)。ケースの中身は コルネットだった(3枚目の写真)〔レジーが運転手に頼んで、購入→輸送してもらった。そうでなければ、間に合うはずがない〕。ケースの中に入っていたコルネットのパート譜は、いくらなんでも間に合わないので、デイズ インで約束した後に 書いたのであろう。

レジーは、しばらく中断していたチェロを取り出し、いつもの使われなくなったプールの底で演奏を始める(1・2枚目の写真)。曲目は『日曜のように、雨降りのように』。エレノアは、譜を読んだ後、玄関から外に出ると、コルネットのパートを演奏し始める。映画では、4重奏にコルネットが加わった5重奏の曲が流れる。

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